「公共性の構造転換」まとめ


ハーバーマスの「公共性の構造転換」を読んだときのまとめを倉庫においておく。
なお、この話題に関しては、
http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/hanada/hanadap1/hanadap1.htm
も必須の資料。

  • 近代という時代は、公権力の領域と私人の領域の空間的な分割・分離とともに発生する。
  • その前史をたどると、それら二つの領域は十六世紀に始まる封建的な諸権力の解体過程から生まれてきたものだといえる。君主や貴族は、その支配力を演出する舞台として「代表的具現の公共性」を設けていた。具体的には様々な衣装や道具を伴った儀式や祭典である。

この舞台装置によって、支配ー被支配関係が可視的に顕現され、支配者としての_体面_が維持された。ここには近代的な意味における公も私もない。

  • まず、教会権力に対する宗教改革は内面の自由(=信教の自由)という最初の私的自治の圏を生み出した。これに伴い、君主権力においては私的家政と公的予算の分離が発生し、公的部分から官僚制と軍隊が、封建的身分からは身分制議会と裁判所が発達する。つまり、絶対主義国家としての機構が整う。
  • この過程にともない、「代表的具現の公共性」は衰退し、国家に代表される公権力の領域が形成される。そして、それに呼応し、また対立する形で私人の領域が形成される。
  • この私人の領域をにない、分節化させていったのは新興ブルジョアである。信教の自由(内面の自由)として私的自律の最初の手がかりを得た彼らは、口語訳の聖書を手にし、カトリック教会という神を独占するメディア回路からの自由をえる。そこに家父長を中心とした小家族の内部に「親密圏」が形成されることとなる。
  • このブルジョア小家族の内部に発生した「親密圏」こそが、自由・愛・教養といった近代的価値理念を醸造する母体となる。

ブルジョアの持つ資源は、私有財産啓蒙主義的教養ということになるが、この二つの契機が転回していくことにより小家族の内部に発生した空間が拡大し、それぞれに別の圏を生み出していくこととなる。

  • まず、私有財産においては、商品取引が家族経済の圏域を突破して、商品交換と社会的労働の分野を成立させる。これがハーバーマスの用語における「ブルジョア社会」であり、後にはこれが市場経済へと抽象化されていく。
  • それと並行して(あるいは先行して)、啓蒙主義的教養を媒介として「文芸的公共圏」が形成される。これは、ブルジョア的教養のコミュニケーション空間、文化の集散地となり始めた都市空間、「代表的具現の公共性」の名残としての宮廷社交界の一部が合流して発生した。具体的にはコーヒーハウスやサロンなどである。

そこでは、_教養_という入場券を持つかぎりにおいて、その他の要件では対等な私人間での座談なり芸術批評が行われていた。


◆他方、物理的な場所を共有しない形態の媒介制度として新聞が定着する。新聞とは、商品取引のための情報媒体として出発し、命令伝達のための官報として利用されつつも、ついには離れ離れの私人を公衆として糾合するメディアとして制度化する
ここに、文芸作品や新聞を読む「読書する公衆」が出現する。


◆この文芸的公共圏から、政治的公共圏が派生する。
経済的な圏域としてのブルジョア社会と、文化的な圏域としての文芸的公共圏の担い手は、いずれも新興ブルジョアジーである。ブルジョア社会の拡大にともない、絶対主義国家の重商主義的な統制は足かせとなり、そこからの政治的解放を望むようになる。
ブルジョアジーはこれを公開された論争という手段によって行ったわけである。


◆ここに、ブルジョア社会が自己の利害関心を論争的に表現する圏域としての政治的公共圏が分離形成される。この圏域は政治的公衆や世論、政党を自らの媒介物としてもち、ブルジョア革命によって私人の領域を突破して公権力の領域に歩を進めた。つまり、近代の議会を制度化した。


◆そして、その議会を通して、本来ならば私人の領域の原理である「国家からの自由」権や私的契約関係などの規範を法体系化し、そこに保証を与えていった。こうして、19世紀にはブルジョア自由主義法治国家が成立する。


以上、内面的自由⇒親密圏の形成⇒文芸的公共圏⇒政治的公共圏 と公共圏は拡大してきたことを足早にスケッチした。
さて、このように見てくるとブルジョア政治公共圏はブルジョア社会のためのイデオロギー装置にすぎないということになるかもしれないが、ハーバーマスは一面ではその通りであることを認めつつ、それと同時に単なるイデオロギー以上のものであったと見なしている。
これは、自由主義法治国家においては、支配というものが暴力に依拠するものではなく、自由な討議による合意を目指す過程によってその正当性を与えられるという仕組みへの、そしてその仕組みが万人に開かれたものとして制度化されうることへの評価であるといえよう。


ここで、政治的公共圏の理念とは、言説の公開性と他者との共同性を組織原理とした、自由なコミュニケーション空間の設営であると定式化できよう。その前提条件は、国家と社会との分離にある。


また、公共圏とはもともと拡大された私的自治であるであるということは、ことに日本においてはいくら強調してもしすぎることはなさそうだ。
「公共」というのは国家や公権力のことを意味するわけではない。公共の論理とは私的自治の論理なのである。


さて、このように成立した公共圏だが、これが機能的に構造を転換してしまうという事態が起こる。これがハーバーマスのいう「公共性の構造転換」である。

  • 19世紀の終わり以降、ブルジョア社会の圏域がその内部での利害紛争を自力で解決できなくなり、国家にその調停を要請した。つまり、国家と社会との分離という公共圏の存在の前提条件を放棄した。

ここに、国家と社会との分離から相互浸透へと構造が変化した。この構造的変動により、政治的公共圏の基盤は掘り崩され、その政治性を失っていく。

  • 公共圏は公衆による批判的な言説空間から、体制化した諸組織による大衆へのPRあるいは広告宣伝の空間へと転化する。この事態をハーバーマスは「公共圏の再封建化」と呼んだ。こうした公共圏のありかたは、封建時代の「代表制具現の公共性」と酷似しているからである。

もともと公共圏とは、公権力に対抗するために私的な領域の拡大していったものだというのがハーバーマスの基本的な認識であろう。しつこくいうが、ここは重要。
我が国のことを考えてみると、日本においてはそもそも「代表的具現の公共性」しか存在していないのではないかと考えることができるかもしれない。
例えば、カルデロン一家へ対する在特会のデモなどは、「代表的具現の公共性」そのものといえるかもしれない。ヘイトスピーチなどもこの文脈で捉えなおすことができよう。